「学ぶこと」,「まねること」,「参加すること」

2018-06-04 17:27:52

 

すかさず! 大きな声で! スマイル!!

「学ぶこと」、「まねること」、「参加すること」

私(たち)は,あなたのことを誰よりも精一杯愛している。

 

 

みなさん,こんにちは!!
「生きる自分への自信を持たせる
鍛地頭-tanjito-」副塾長の住本小夜子です。

 

 

本日のテーマは【真の〈学び〉】です。

 

 

「学ぶこと」、「まねること」、「参加すること」

 

 

まず初めに,
みなさんは,「学ぶ」の定義をご存知ですか?
いろいろな定義があるようですが,
一つ例を挙げます。

 

① 教えを受けて知識や技芸を身につける。
② 勉強する。学問をする。
③ 経験を通して知識や知恵を得る。わかる。
④ まねる。

(参考 三省堂 大辞林)

 

上述した意味の④に,「まねる」とありますよね。
これは,「学ぶ」の語源のようです。

 

学ぶは,「まねぶ(学ぶ)」と同源で,「まねる(真似る)」とも同じ語源である。「真に似せる」の意味から「まね」や「まねぶ」が生まれ,「まなぶ」という語が生じたか,「誠に習う」の意味から「まなぶ」が生まれた。
「まなぶ」は,教えを受けたり学問をする意味で多く用いられ,
「まねぶ」は「まなぶ」よりも学問をする意味は薄く,模範する意味で用いられることが多かった。

(語源由来辞典)

 

そう言えば,
「学習」の「習」にも「ならう。まなぶ。身につける。」などの意味があります。

 

「まなぶ」も「まねぶ」も両方大切なのですが,
私は,どちらかと言うと,
「まねぶ」ではなく,常に「まなぶ」の精神でありたいと思っています。

 

このように考えるのは,私が学童期に習っていた卓球が大きく関係しています。

 

 

「学ぶこと」、「まねること」、「参加すること」

 

 

私は,小学4年生~6年生まで,スポーツ少年団に所属し,卓球を習っていました。
自分で言うのもなんですが,
大会では,いつも3位入賞という成績を残す,スポーツ少女でした。
けれど,いつも,どうしても勝てない相手がいたのです。

 

小学6年生の時,ある大会の最中のことです。
監督が次のようにおっしゃったのです。

 

「強く(上手く)なりたいのなら,強い(上手い)相手を見て,その技を盗め!!」

 

そこで私は,
その上手な相手をじーっと観察することにしました。
自分とその相手とを見比べ,自分に足りないものを認識し,
また,その技術をどのように使っているのかを頭に叩き込んだのです。

 

しかし,それだけで上達することはありませんでした。
「盗んだ技」を頭では理解していても,実際にやってみるとできなかったからです。

 

それからというもの,私は頭に叩き込んだ「盗んだ技」を
「自分に合った技」にするために,
とにかく,日々,練習を重ねました。

 

その甲斐あって,
目標としていた宿敵を撃破!
その後の大会では,それまで以上の成績を上げるようになったのです。

 

もっと上手になりたい!!
あの人のように強くなりたい!!

 

そうした私の「学ぶ意欲」に気づいてくれた監督のお蔭でした。
私は,幸運にも,その時,自ら「学ぶこと」を学んだのです。
そのことが,現在の私の自信へとつながっていることは事実です。

 

 

「技を盗むこと」は「まねること」であり,
学ぶこと」は,自らが解決しなければならない問題に対して,
(その問題解決にそぐうように,)
まねた(教えてもらった)」ことに自らが+αしてアレンジし
(独自性のあるものとして)「学ぶ意欲」を持って,
(課題解決に)「参加する」ことだと考えるのです。

 

 

「学ぶこと」、「まねること」、「参加すること」

 

 

見たり聞いたりしたことを,そのまま他者に伝えることは,
「まねぶ(まねる)」ことではなく,
文字どおり「盗む」ことで,「横流し」に過ぎません。
それでは,相手の関心・感動も,納得も得られません。

 

少なくとも,「まねぶこと」を自らが言語化できれば,
学ぶこと」に近づくのではないかと思いますけれど…。

 

 

個々人の問題は異なります。
また,現代社会の問題は山積しています。

 

「学ぶ意欲」を持って,「学ぶ姿勢」で,
問題解決に向け,
「社会の文化的実践に参加すること」,
それが真の〈学び〉なのかもしれません。

 

真の〈学び〉を求め,
決して受け売りにならないように,
塾長の厳しい指導のもと,日々,勉強(学び)をしております。

 

たくさんの方の笑顔のために・・・☆

 

 

「学ぶこと」、「まねること」、「参加すること」

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