教師教育「先生,あの先生,授業に自信がないん?」―学習指導と生徒指導とは車の両輪の関係—
2018-08-05 07:02:26
すかさず! 大きな声で! スマイル!!
私(たち)は,あなたのことを誰よりも精一杯愛している。
みなさん,こんばんは!!
「生きる自分への自信を持たせる
鍛地頭-tanjito-」塾長の小桝雅典です。
今回のテーマは,
「学力の形成と『学習指導-生徒指導』との連関性」についてです。
教員採用試験はピークを迎えていますね。
私も若かりし頃,その関門を何とか潜り抜け,29年間の教員生活を送りました。
まだ初々しかった20代前半,
(こういう表現をしたら,年老いたみたいだなあ…,気持ちはいつも28歳(笑))
自らが受けた教員採用試験の会場,試験問題,試験監督官などを思い起こします。
懐古的な気分も手伝って,少し教員採用試験を意識しながら,テーマについて述べてみようと思います。
ですが,これから述べる中身は,
「教員であるための神髄」だと思いますよ。
教員となって2校目の高校。
(28歳でした。)
男女共,とても元気な生徒が多い小規模校でした。
(私はこのように元気な生徒や学校が,より好きなのでした。)
何て言ったって,着任式の日。
グランドで行われた式に臨む生徒の列は,どのクラスもアマゾン川のように曲がりくねっていました。
式中,私は,その学校に長いことおられる先生に,そっと耳打ちし,
「先生,生徒の列が蛇行していますよ。」と小さな声で囁きました。
「小桝先生,これでも並ぶようになったのです。
式だというのに,グランドにいるのは先生だけという時代もあったのです。
大進歩です。」
「着任者,あいさつ。」
私の順番です。朝礼台に上りました。
中腰になっていたほぼ全生徒の鋭い眼差しが私に一斉に注がれました。
何とその多くは,メンタンを切っている(ガンをつけている)のです。
私は内心,ニコッとほくそ笑みました。
顔の表情は凛々しいままで。
【ははは,聞いていたとおりかわいい子等だ(笑)】
メンタンを切っている生徒たちの心の声が届いてきます。
【お前,何者なんじゃあ~怒 この学校じゃあ,わし(うち)らの方が,先輩なんよ~ムカツク わかっちょるよのう怒】
この学校での7年間がスタートしたのです。
最初の授業は良い思い出として心に深く残っています。
始業前に教室に入り,
(これは教員の間,ずっと続けてきました。休憩時間に必要な板書をしたり,生徒と話したりしながら,一人ひとりの様子を観察するためです。「今日,心や身体の調子が悪そうな生徒はいないかなあ。」「気に懸かる生徒はいないかなあ。」と思って。)
教室を見渡します。
花札をしていた手が止まります。ガムを噛むのを止めます。音楽を聴いていたイヤフォンを徐に外します。友人を弄っていた会話が止まります。
そして,一斉にガンをつけてきます。
始業のチャイムが鳴りました。
「はい。始めます。席に着きなさい。」
「なんじゃー怒 わりゃあ~,なにぬかしたんな~怒 おぅ,もう一回ゆーてみー怒怒!!」
「授業を始めます。席に着きなさい。」
「なんじゃー怒 おんどりゃあー!! なんで授業をするんな=怒怒怒怒!!!」
「みんなに考える力を付けたい。学ぶことの喜びを分かち合いたい。だから,授業をするのです。」
「なにをぬかしとんな~わりゃあ~怒怒怒怒怒!!!!!」
数人の男子生徒が教卓を囲みます。
「座れ~ゆ~ちょるのがわからんのんか~!!!」
(みなさん,言葉遣いは丁寧に,どんな場面でも丁寧にしないといけません。若気の至りです。)
その時でした。
「お前ら~,やめ~や!!」
止めに入ったのは,その学校を仕切っている,喧嘩無敗の番長でした。
「お前ら,席につけ~や。見てみい。あの(私の)雰囲気。この先公は違うで。」
それから,6年後。
生徒の代も入れ替わり,少しは学校も落ち着いてきたある日の昼休憩。
校内で一番元気なグループ(男子5名,女子3名)が,
学校の玄関ともいうべき1階事務室前の中庭に車座になってたむろしています。
2階の廊下を歩いていた私は,その光景がふと目に入りました。
「そこに座り込んだらいけんで~。何回もゆ~ちょるど~。」と優しく叫びました。
(「外部からお客様が来られる場所だから,占拠してはいけない。」と学校全体で教えていたのです。)
【ううん? あの子たち,何だか様子が変だな,いつもならば,「うるさいのう!」というオーラをプンプン出すのになあ。】
「先生~! 来て~や!」
【何かあったな。間違いない。えらい神妙になっちょる。】
私は,その場へ駆けつけました。
「何かあったんか? 何じゃあ,みんな,その神妙な顔つきは。」
「・・・・・・先生,真面目に訊いてもええ?」
こう言い出したのは,グループのリーダーである男子生徒(番長)でした。
「ええで。それにしても,神妙な顔つきなんぞ,似合わんぞ。」
私は冗談を言ったつもりでした。
しかし,その男子生徒の表情はますますこわばっていきます。
「先生,ホンマに真面目に訊いてもええ?」
「ええよ。」
「ホンマじゃね。ちゃんと聴いてよ。」
「ええよ。」
「□□科に○○先生がおるじゃろう?」
「うん,いらっしゃるね。」
「あの先生,なんで,あんなに自信なさそうに授業をするん? よく間違うし……。授業に自信がない人がわしらに生徒指導をしても,その指導を聞く気になれんのんよ。先生(私)は少々嘘でもホンマみたいに教えてくれるけど,自信を持って授業をしとるけん,先生の生徒指導ならば聞こうと思うんよ。のう,みんな。」
他の7名の生徒が一斉に大きく頷きました。
「先生,さっきから,ここに座って,今,ゆ~たよ~なことをホンマに話していたんよ。」
背筋に電流が走るような衝撃を受けました。
私は,この日のこの場面を一生忘れることはないと思います。
それにしても,「嘘でもホンマみたいに教え」たっけ!?
児童生徒は教員をよく見ています。
いいえ,見抜いています。
児童生徒はみんな「(授業内容を)分かりたい。」と思っています。
でも,そのことを表現できる児童生徒もいれば,できない児童生徒もいるのです。
ちょっとの時間・たった1回でも良いから,教室にいる全ての児童生徒が,
「僕もわかった!」「私もわかった!」
「私も考えた!」「僕も考えた!」
(最低限の授業づくりかもしれないけれど,)そのような授業づくりをしたい。
現役時代,いつも私が考えていたことでした。
そして,現役を離れた今になっても,
世の先生方に切に,切に望んでいることなのです。
(イメージ)
県教委で生徒指導を担当していた頃,
「「生徒指導の三機能」を生かした授業づくり」を標榜していました。
【生徒指導係が「学習指導」?】と思われるかもしれませんが,
生徒指導等の研修会などで,よく話させていただいた内容なのです。
特に,
学力=
授業規律(狭い意味での生徒指導)〔A〕
+
「生徒指導の三機能」を活かした授業づくり(学習指導)〔B〕
という概念(「学力の公式」)の伝達に力を注いでいました。
【「生徒指導の三機能」】
○「自己存在感を与える」
○「自己決定の場を与える」
○「共感的人間関係を育成する」
【学力の公式】
私の勝手な命名です。あしからず。
ここで述べる「学力」とは学校教育法第30条第2項に規定され,新学習指導要領の柱である「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性等」を指します。
また,「+」は付加的なものではなく,〔A〕と〔B〕が共時的・並行的に相互で相関しながら機能することを意味しています。
簡潔に述べれば,
授業規律が守られ,学ぶ意欲を喚起する「生徒指導の三機能」を生かした授業づくりを行えば,学力は向上するというわけです。
授業規律が守られた学びの空間では,授業に集中できるわけです。
そこに,「生徒指導の三機能」を活かした授業が展開され,学ぶ意欲が喚起される。
その帰結は「学力向上」。
学力が向上すれば,なお一層,児童生徒の授業規律を守る力は高まるわけですから,教員も努力し,学ぶ意欲を喚起する授業を継続して創造していけば,さらに学力は向上するのです。
そして,この一連の継続した営みは正のスパイラルを描き,学力はグングン向上するという理屈です。
詳しくは,『生徒指導提要』(文部科学省,平成22年3月)の「第1章 第2節 教育課程における生徒指導の位置付け 2 学習指導における生徒指導」(5頁~)をお読みください。
【『生徒指導提要』(文部科学省,平成22年3月)の表紙】
学校現場で,
「教師の授業力を高める」
という言葉をよく耳にします。
この場合の「授業力」を,私は,
「単に学習指導上のものだけを指すのではない。生徒指導力を合わせた概念だ。」
と考えています。
上述した「学力の公式」から,
最初,「授業規律」を徹底するには,狭義での「生徒指導力」は必要だからです。
(簡単に「『生徒指導力』は必要」と述べていますが,この力を身につけることはなかなか難しいのですよね。)
「学習指導」と「生徒指導」とは,
決して二項対立の連関性にあるのではない,と。
このように述べると,
「生徒指導」に自信のない教員採用試験受験者のみなさんは,
「先生になる!!」という目標が揺らいできますか?
私は「揺らぐ必要は(まだ)ない。」と思います。
なぜならば,難しい命題ですが,
「生徒指導とは何か」をよくよく考えてみる必要があるからです。
私のように,強面の凄味のある先生しかできないのが「生徒指導」ではないのですよ。
では,「生徒指導」とは?
それは,今回,紙面を尽くしても書ききれるものではありません。
追々,ブログにしていきますし,
希望してくだされば,共に語る機会を持たせていただきたいですね。
(そのための「鍛地頭-tanjito-」でもあるわけです。)
ただし,現在,一つだけ言えるとしたならば,
「生徒指導とは,児童生徒一人ひとりを大切にすること。」
なのです。
ただ,どのように大切にしていくのかが肝心なのですけれど。
その答えは,1階事務室前の中庭で,私に質問した後,
徐に立ち上がって車座を解いた,あの8人の生徒たちを初め,
私がかかわってきた全ての生徒たちが教えてくれたものだと,
私は信じています。