副塾長,西日本豪雨により被災!!  -「思い出」が〈思い出〉になってしまった-

2018-07-20 09:06:02

 

すかさず! 大きな声で! スマイル!!

副塾長,西日本豪雨により被災!! ―「思い出」が〈思い出〉になってしまった―

私(たち)は,あなたのことを誰よりも精一杯愛している。

 

 

「生きる自分への自信を持たせる
鍛地頭-tanjito-」の塾長 小桝雅典です。

 

 

この度の西日本豪雨災害に際し,お亡くなりになられた皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。
また,被災された皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。

 

 

さて,当塾の副塾長 住本小夜子も被災いたしました。
平成30年7月6日(金)午後7時12分のことでした。
住本から,Skypeメッセージが入りました。

 

「確かに危ない!!」
「あと(川の氾濫まで)3メートルくらい!!」

 

午後8時10分,
「念の為に,避難の準備をしています。」

 

 

副塾長,西日本豪雨により被災!! ―「思い出」が〈思い出〉になってしまった―

【平成30年7月6日(金)午後9時頃 広島県東広島市黒瀬町

自宅アパート前の道路の冠水】

 

 

午後9時31分,
「(避難先の)小学校に着きました。こども共々無事です。」

 

午後11時52分,
「(荷物を取りに一時帰宅した近隣の方に)状況を伺ったら,
我が家はダメらしいです。」

 

午後11時53分,
「(床上)浸水です。」

 

 

住本の住居(2階建てアパートで,住本は1階に居住していた)は,
広島県東広島市を流れる黒瀬川のすぐ傍で,
川より一段下の低地にありました。
この頃,道という道は既に寸断されていました。
住本の住居の近辺では,2トントラックの天井部分だけが,
泥で濁れた水面にかすかに見えたそうです。
住本の住居の2階に住まう方々は逃げ遅れ,救助を待つことになりました。

 

 

住本一家を救いに行くことはできませんでした。
居ても立っても居られないもどかしさだけが募りました。

 

 

私は,川が氾濫したのだと思いました。
しかし,後にわかったことですが,黒瀬川は間一髪氾濫を免れていました。

 

これも後にわかったことなのですが,
住本が居住していたアパートのすぐ近くに,
幅2メートルほどの農業用(と思われる)水路があり,
そこから鉄砲水が押し寄せたのです。
それは,小さなダムの放水のようでした。

 

注:住本を含め,アパートの住人やこの地に来て数年の方は,
   その水路の存在すら知りませんでした。
   被災後,鉄砲水の原因を調べた住本が用水路を発見しました。

 

それとともに,ただ滝のように容赦なく,怒涛のように叩きつける雨が,
地面から溢れ返り,大きな大きな沼地をつくっていったのです。

 

 

その後,住本一家は我が家に身を寄せることになりました。

 

 

副塾長,西日本豪雨により被災!! ―「思い出」が〈思い出〉になってしまった―

【広島県東広島市黒瀬町 広島国際大学の裏山の地すべり

平成30年7月10日(火)午後3時49分 車窓より撮影】

 

 

 

「アパートの管理会社から,引っ越し対象と言われたよ。
しかも,引っ越しにかかる費用は実費で,全て自分(=住本)持ちだって。」

 

 

7月9日(月),
住本と私,2人だけの引っ越し作業が始まりました。
引っ越しと言っても,まず新しい住処がありません。
かと言って,仮に新しい住処があったとしても,
運び込む荷物は殆どありませんでした。

 

近くの空き地は,日に日に,茶色い泥と青緑色のカビに塗(まみ)れた
瓦礫の山を築いていきます。
近隣の家々から運び出された家財道具等でした。

 

 

副塾長,西日本豪雨により被災!! ―「思い出」が〈思い出〉になってしまった―

【家財道具が廃棄された空き地と瓦礫の山

平成30年7月18日(水)午後5時頃撮影】

 

 

じりじりと照り付ける7月の太陽が
肌をチクチクと差していきます。
元の住処は泥と糞尿とを混ぜたような悪臭を放っていきます。
まるで,ドブの中にいるようです。
いつしか,身体はシャワーを浴びたようになり,
頭はくらくらしていました。

 

 

元の住処のリビングに,いつの間に,
どこから入ってきたのでしょうか,
小さな青ガエルが一匹いました。
でも,自分の意志では動けないようです。
そっと,両手で掬い,
泥交じりの湿地に帰してやりました。
私にとっては,それが精一杯でした。

 

 

副塾長,西日本豪雨により被災!! ―「思い出」が〈思い出〉になってしまった―

【リビングで見つけた青ガエル】

 

 

 

「これを捨ててもいいのか・・・?」
「あれは空き地行きか・・・?」
「ホンマにこれも捨てていいのか・・・?」

 

住本は気丈に振る舞っていました。
「もう使えんよ。菌も付着しているだろうから,
こどもが感染したら大変よ!!
ええけん,捨てて!!」

 

 

思い起こせば,約1年前,
2人の幼いこどもを抱え,シングルマザーとなった住本は,
再起をかけ,この地に移り住んだのでした。

 

その日から,一つひとつを紡いできた生活の「思い出」。
その立役者となった品々が,今や変わり果てた姿となって,
次々と空き地に積み重ねられていきます。

 

「ああ,こどものアルバムが・・・生まれた頃からの2人の写真が・・・
さすがにこれはきつい!!・・・」

 

こども部屋の床近くにしゃがみ込んだ住本の背中が
急に小さくなったように見えました。
悪臭に塗れ,泥汁が垂れ出したアルバムの写真を,
一つひとつ大切に,丁寧に脳裏に焼き付けるようにして,
住本はページをめくっていきます。

 

「このアルバムの写真も捨てんといけんのんじゃろうね・・・」

 

あの気丈だった住本の声がかすれて聞こえました。
その刹那,住本の丸まった小さな背中が滲んで見えました。

 

 

 

「この一帯もやられたんか!?」
家財道具を空き地に運んだ帰り,
軽トラに乗った見知らぬ年配の男性に声を掛けられました。

 

「ええ,この辺りは,一帯,床上浸水ですわ。」
「そうか・・・」
「なにもかも持って行かれました。」
「うちの集落では命を持って行かれたわい・・・」
「・・・・・・・・・・」

 

それまで伏し目がちだった男性と,
初めて目が合いました。
その眼には,みるみるうちに
涙が溢れてきました。

 

「プー!!」

 

「ああ,後ろから車が来ましたよ。」
「おおう,ほんなら行くわ~。
気を付けんさいよ!!」
「ありがとうございます。気を付けてくださいね!!」

 

 

副塾長,西日本豪雨により被災!! ―「思い出」が〈思い出〉になってしまった―

【引き切らない泥水に浸かる元の住処(1階手前の部屋)

平成30年7月7日(土)午後1時頃撮影】

 

 

 

 

ああ,暑い!! はあ,はあ,はあ・・・
ううん? ・・・あの年配の男性,何をやっているんだ!?
まさか物色か!? 被災者の面前で物色か!?

 

被災者はみな項垂れて,家財道具をこの空き地に運んでいる。
一つ運ぶたびに,一つの「思い出」が野に化していく。

 

その真っ只中で物色か!?
あまり汚れていない,金目の物ばかりを軽トラに運んでいる!!

 

注:私のモットーは「正確に〈事実〉を見極めて,物事を判断する」です。
   しかし,この折には,冷静さを欠いていました。「物色」か否か,確かめてはいないの
  ですから。

  ですが,私にはどうしても「物色」に見えたのです。

 

それはあんまりだろう・・・
被災した方々が,その男性を淋しい眼差しで見つめているじゃないか!!
さっきまで,我が家にあった家財道具が,今は軽トラの荷台の上か!!

 

西洋思想の知的操作に回収された現代の日本では,
そりゃあ,空き地に捨てられた家財道具に,最早「所有権」はないのだろう・・・
それにしても,感情的に許せない!!

 

これを「その人」の問題として捉えていいのか!?
「学校教育」の問題ではないのか!?
そうではなくて,「教育」も,「人」も,「時代」も,全て融合された問題なのか!?

 

サッカー観戦後や選手ロッカールームの後片付け,被災後の礼儀正しい対応など,日本の品格を伝える報道は数多い。
確かに,「誠実の美徳」を備えた人々が相対的に多いのが日本なのだろう。
しかし,飽くまでも,「相対」の問題であって,「総体」ではないのだ。
世界中の人々が「相対」を「総体」と勘違いしている現代日本の現況があるのではないか?

 

〈教育〉は,マスコミなどから得る情報をきちんと〈相対化〉できる力を育成しなければならない。
喫緊の課題だ。
そうしなければ,〈真実〉を見失うぞ!!

 

〈真実〉を見失えば,偽善と偏見は世にはびこり,〈誠実な人〉は傷ついていく。
〈真実〉を見ようとしなければ,誠実に生きていくための課題発見はおぼつかなくなる。
その結果,こどもたちへの「教育」は行く先を見誤ってしまう。

 

ああ,何を考えているんだろう・・・?
こんなときにも〈教育〉のことを考えているなんて・・・
ああ,暑い。頭が朦朧としてきた。

 

 

 

7月16日(月),
なんとか定めた新居に,
とりあえず生活ができるだけの物資を搬入することとなりました。

 

住本は,少しは落ち着いてきたようです。
避難所となった,息子さんが通う小学校の体育館での一場面を私に語り始めました。
避難したばかりの頃のことです。

 

住本から提案し,東広島市職員,小学校の教頭先生,自治会関係者及び住本当人との間で,避難後,常時,情報共有をすることにしたそうです。
その第1回目,自治会関係者が,特に住本に話されたことです。

 

「住本さんが住んでおられたところはのう,昔から水害がよくあったところなんよ。
その地域に限った話ではなくてのう,
引っ越し先を定める時には,その地域性をよく調べ,確かめておかんとのう。
地元の人に訊くのが一番よ。」

 

 

7月17日(火),
片付けがもう少し残っていたため,住本と私は元の住処の駐車場に降り立ちました。
向かいの一段高くなった盛り土に立派な家を構えておられる,
そこのご主人が庭に出ておられ,私たちに声を掛けてくださいました。
一段高いと言っても,そのお家も浸水を免れてはいませんでした。

 

「もう(片付けは)終わられましたか?」
「ありがとうございます。まあ,なんとか。もう少しで終わるところです。」
「そうですか・・・この辺りは19年前にも水害がありましてね。ご存知でしたか?」
「いいえ。全く。」
「そうでしたか。その折にも,我が家は被災したのですよ。
そして,今回も。一戸建てですから,どうしてもここを離れるわけにはいきません。
私も,今回の災害後,つい先日知ったことなのですが・・・
この辺りを古くから『水越(みずこし)』というのだそうです。」
「『水越(みずこし)』!! 読んで字のごとくじゃないですか!!」
「そうなんです。それを早くから知っていたら,ここに家を建てることはありませんでした。」
「・・・・・」

 

 

副塾長,西日本豪雨により被災!! ―「思い出」が〈思い出〉になってしまった―

【元の住処の周辺地域(旧称「水越」)

平成30年7月7日(土)午前6時頃 近隣の方より提供】

 

 

 

住本は,元の住処を片付け始めた,その当初から,
興味深いことを口にしていました。

 

「空き地などで会う見ず知らずの人たちに2タイプあるんよ。
一つは,私を見て,厳かに頭を下げて通り過ぎるタイプ。
もう一つは,私を見ても素通りするタイプ。
私はわかったんよ。
頭を下げて通り過ぎる人たちは,被災した人たち。
素通りする人たちは,物見遊山な人たち。」

 

この言葉を聴いた私は,その後,空き地を初めとする,
元の住処の界隈を,片付けの合間,観察し続けたのです。
そして,一人こうつぶやきました。

 

「なるほど。」

 

 

 

7月18日(水),
元の住処の駐車場を去る時でした。
住本が,私からやや離れたところで,
元の住処をぼうっと眺めながら,
何かをぼそっとつぶやきました。
私は思わず振り返り,住本の後姿を凝視しました。

 

「ここで1年間,2人のこどもとがんばってきた。
こんな形で終わるとは思ってもいなかった。
一つひとつの「思い出」が(ホンモノの)〈思い出〉になってしまった。
・・・・・
・・・・・
でも,またこどもたちと3人で,新しい「思い出」をつくればええんよね。」

 

瞬間,私は住本に背を向け,青く潤んだ空を見上げるしかありませんでした。
私は,この1年間,住本が懸命に積み重ねていた労苦をよく知っていました。
だから,そうするしかなかったのです。

 

この時,私は初めて天を恨みました。
「健気に精一杯生きる人間に,なんて仕打ちだ!!」

 

住本が私に近づいてくるのがわかりました。
住本は肩越しに語りかけてきました。

 

「少し文脈は違うけど,こういうときだからこそ,
我らが「鍛地頭-tanjito-」のキャッチフレーズ,
『すかさず! 大きな声で! スマイル!!』
じゃないといけんよね。」

 

 

そう語る住本の声は,元の気丈な「住本小夜子」の声でした。

 

 

[後記]
本ブログを認(したた)めるに際して躊躇がございました。
お亡くなりになられた方を初め,甚大な被害を受けられた方は大勢おられるのです。
ただ,ブログとすることを決心した私の心底には,
お亡くなりになられた方へ深く哀悼の意を表するとともに,
被災者の皆様へのお見舞いの気持ちが強くありました。
また,勝手ですが,私の心の支援者である住本の身に起きた不幸な出来事を書き留めておきたい気持ちもございました。
さらに,一被災者の被災の〈事実〉を読者の皆様に知っていただきたいと願う我儘な気持ちもございました。
本ブログをお読みになり,不快な思いをされた方もおありのことでしょう。
まずもって,お詫びを申し上げる次第です。

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